発症するまで気がつかなかったけど血管の異常があった!
家族とショッピングモールで待ち合わせをしていたんです。会社から慌てて走りながら向かったんです。ちょっと暑くて、やたらと喉が渇いて、とにかく水を飲みたいと思って、自販機に駆け寄ったんですが、押しても押しても全然商品が出てこないんですよ。これはまずいと思ってとにかく水を! と思って、トイレのほうに歩き出したところで倒れたんです。たまたま人が多いところだったので、そのまま救急車を呼んでもらえました。この辺から覚えていません。今思えば、走ってる時にやたらと左側にぶつかっているなという気づきはあったんです。すでに症状が出てたんですかね。
入院してしばらくは意識障害が残ってたんでしょうか、鼻からチューブを入れてました。ご飯を食べていいのかどうか聞いたら、水を飲んで検査をしないとダメと言われた覚えがあります。
麻痺はなかったですね。看護師さんに「トイレに行く時は呼んでね」と言われてました。点滴棒も押しながらでしたから、こけたらいけないって、見守りをしてもらってました。
主治医からは「もやもや病」と言われたそうです、妻が聞いていて、僕はほとんど覚えていないです。聞いたこともない病名でした。
1ヵ月ほど、入院してましたが、理学療法士さんとは、階段の上り下りや、まっすぐな線の上を歩く練習などしていました。言語聴覚士さんなのか、作業療法士さんなのか、ちょっと覚えてないんですが、プリントをしてました。記号に合わせた数字を書いたり、間違いを探したり。
このころは、早く仕事に戻りたいの一心でした。いつ戻れるんだろう? 普通の人はどのくらいのスピードでできるんだろう? 自分はどれぐらい悪いんだろう? と、心の中で不安や疑問を抱えながら、ただただ言われたことをやっていました。もう専門の人に任せるしかないじゃないですか、やらなあかん、やらなあかんと、ひたすら自分ができることをやっていたと思いますね。やればもとに戻るんだろうと思ってたんです。
退院する時に「すぐには治らない、焦らなくてもいいよ」と言われたんですが、でも僕は「早く戻りたい」その一心でした。でも、いつもの僕じゃないなぁっていうのは、最近思うことで、当時は、なんだろ、なんか必死でした。
Mさんはもやもや病でした。この病気は内頚動脈という太い血管の終末部が細くなり、このまわりに細かい血管が、煙が立ち上ったようにもやもや~と見えるのが特徴です。運動時などに一過性に脳虚血発作を起こすことも多く、Mさんも小学生の時から、急に「ふらっと」したことがありましたが、おかしいなと思いつつも、受診することはなかったとのことです。
今回の左右両側の出血で、注意、記憶、遂行機能障害、易疲...
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Mさんがお困りになったほとんどすべてのことは僕自身にも共通するもので、お話し中はうなずくことばかりでしたが、驚いたのはやはり、その職場が公共施設でありMさん自身も公務員ということを差っ引いても、職場側の理解と対応がずば抜けて良好なレアケースであること。例えばご本人が認識しているように、「病前すんなりやれていた作業に5倍の時間をかけるように」なったら、しかもそれがMさんのようにパッと見て全く健常に見...
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Mさんのお仕事は、インフラ系の大規模な公共施設で、施設内の設備の保守メンテナンスを担当する技術系の公務員です。施設内の電気や空調から専門機械まで、多岐にわたる機械設備の保守管理をし、必要に応じてメンテナンス計画を策定したり、設備メーカーの担当者とやり取りをしたりして、メンテ業務を発注することが主な業務です。キャリアは20年以上。ずっと同じ施設に勤め続けてきました。入院中には「一刻も早く仕事に戻らなければヤバい!」と焦ったMさんでしたが、今になって思えば「病前通りに困らずできたのは、PCの操作や入力くらいで、あとのことは全くできていなかったと思います」とのこと。そんな中、公務員であることと、この職種であったことは、Mさんにとって、とても恵まれていたことだったかもしれません。「うちの局は産業医の指導の下で心の病を抱えた職員を復職させるプログラムが充実していて、それに当てはめて対応してもらったようです。なので、まず、退院後に数週間の自宅療養をいただいた後、一週間のうち何日か、半日のみの出勤から始めて、しんどくない範囲で出勤日数や勤務時間を延ばしていき、最終的に通常勤務に戻っていくという行程で、段階的に復職することができました」一般企業にお勤めの方で、こうした配慮をもらえることはレアなケースですが、Mさんのケースでは勤務体系だけでなく、受け持つ業務内容についても、まずは誤発注などの事故につながりにくい内部資料の作成担当から始め、案件を抱える同僚のサポート業務に回りつつ、病前にこなしていた保守メンテナンス業務の軽い案件について自身で担当するようになるまで、2年ほどの時間をかけることができたそうです発。症から7年以上経つ現在。たぶん今のMさんを見て、そして言葉を交わして、高次脳機能障害の当事者だと気づく人がいるとは、とても思えません。落ち着いて静かに言葉を選びつつゆっくり話す姿は、いかにも技術職。身体に残る麻痺もなく、少し日に焼けた顔は何かスポーツをされている風でもあります。今では、設備保守の案件を複数同時にこなす、病前通りの業務を担当するようになっているというMさんですが、その道のりは、日々試行錯誤の繰り返し。決して平坦なものではありませんでした。〜〜〜
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