かっこ悪くてもいいからとりあえず生きていこう 任意団体代表(元行政書士)島本さんの場合

脳出血を発症したのは、22歳。大学を卒業して新卒で働き始め、半年たったころです。大学では心理学を学びました。高校生のころ、生きるとはなんぞや? みたいなことを考えていまして、何か答えがあるかなと思っただけです。ひねくれた子供でしたね。就職は、ちょうど氷河期の真ん中でして、就職したあともスキルアップできる職場がいいなと思い、専門学校の講師を選びました。資格取得等は働きながらできるなと考えたのです。もともと、理屈っぽい奴なんで、法律関係の勉強が面白かったですね。講師の仕事は、ある程度型は決まってましたが、どのように喋るかなど授業運びについては、裁量の範囲がまあまあ広かったので、自分のカラーを出しながらできたから、楽しかったです。
 ある日、教壇に立っている時、右手に持っていたチョークが握れなくなって、最前列の机に倒れこんだんです。教室が騒然となり、生徒が他の教員を呼びに行きました。先輩教員の話によると、けいれんも起こしていたそうです。でも、私としては教壇に戻らなくてはと思って、「いや、大丈夫です」みたいなことを口にしてました。駆け付けた救急隊員に押し込まれるように救急車に乗せられて、そこから意識が飛んでいます。出血の範囲が広くて、脳ヘルニアも起こしていた重篤な状態で、搬送された病院で、何時間もかかる手術をしました。こんな若い年齢で脳の病気を発症するなんて、普通、予期しませんよね。病気をして分かったのですが、私の場合は、脳動脈奇形でした。意識が戻っても、身体は麻痺して動けない、鼻から管をいれて栄養を流し込まれ、病院に幽閉されているって気分でしたね。なんでこんな病気になったのだと泣いたこともありますが、もともとロジカルな考えをするたちでして、なったものは仕方ない、これからどうするかを考えようと思いなおしました。1か月後に再発予防のためと血管奇形を摘出する手術を医師からすすめられまして、まあ、私の意志は挟む余地はなく、また長時間にわたる手術を受けました。手術前には、もう死ぬかもしれないからと言って、マクドナルドのハンバーガーを差し入れしてもらいました。手術後、身体麻痺は悪化して、立つことも難しくなり、リハビリは理学療法士の人と一から出直しです。病棟の看護師長がスパルタで、おしりが痛くなるまでベットサイドに座ったりしました。毎日、看護師さんが、ここはどこですか? とか質問してきますよね。毎回、いろんな表現で笑いを取ろうとしていました。
 そのあと実家の近くにある病院に転院し、3か月ほどいましたが、まだ自宅で生活できないので、リハビリ専門の病院に移りました。当時は短下肢装具で、4点杖でしたかね、それで病棟を歩いたりしてました。看護師さんに怒られたかもしれませんが、こっちは急いでいるわけですから、そんなこと知っちゃこっちゃないって感じでした。当時は、半側空間無視があり、左側によくぶつかったり、ご飯を見落としたりということがありましたが、高次脳機能障害という言葉は聞いていません。認知機能の検査もしましたが、私がいろいろ頭をひねったことを言うから、「あなたは大丈夫ですね」ってことになりました。そういえば、看護師さんが私の親に、「性格が変わりましたか?」と聞いたことがありまして、親が「失礼な!」と憤慨していました。今思えば、あれは高次脳機能障害についての質問だったのでしょうが、当時の私たちには、質問の意図が分かりませんでした。

専門家による寸評

言語聴覚士西村紀子

バリアフリーチャレンジ団体の代表である島本さんは、トークがとても面白い方で、インタビューのところどころに、くすっと笑える場面が散りばめられていました。22歳で発症し搬送された病院でも、「ユーモアはすべての局面に出していた」そうです。看護師さんがバイタルチェックに来たときは「どんな返しをしてみようか」と頭をひねり、多くの患者さんが嫌がる認知機能検査でも「ふざけた回答をして」笑いを取ったりしたことなど...

専門家による寸評

文筆業鈴木大介

つくづく驚かされることの多い島本さんのケースです。

まず重い身体の障害(見える障害)を持ちながら、障害年金の受給も含めて、ほとんど福祉的な支援に繋がらずに自助努力で20年近くというケースがあるのだということ。

20年を経てご本人の中で障害化しない高次脳機能の特性があるのだということ(いかにこの障害が環境に影響されるのかということ)。
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インタビュー記事

 

島本さんは、22歳の時に脳出血を起こされた後、人生の約半分を障害当事者として過ごしているケースです。本冊子は主に高次脳機能障害と就労の課題をテーマにヒアリングを重ねてきていますが、島本さんは受傷部位的に半側空間無視をはじめとする空間認識面に問題を抱えながらも「注意や記憶といった面ではなく、お困りごとの中心は身体の不自由」というのが、ご本人の認識でした。
けれど、その20年以上にわたる障害当事者としての職務歴は、「身体の麻痺は高次脳に比較すればまだしも見えやすい=働く上での配慮も受けやすく有利」といった安易な決めつけを完全に払拭するものでした。
さらに驚くのは、「障害者として働くことを徹底的に自覚した上で、障害者雇用枠に入っていくって決めて動き出したのは40歳を目前にしたとき」という言葉。そして、ご自身の中の残っていた高次脳機能面の不自由(空間認識)が就労の上で初めて障害化したのが、同じく受傷後20年近く経った後だったという証言です。
これまでも当ヒアリングでは若年時受傷者から学ぶことの多さにたびたび驚かされてきましたが、はたして島本さんが現在に至るまでのプロセスは、どんなものだったのでしょうか。

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