いまやれる仕事に淡々と取り組む 広告代理店勤務 合田さんの場合

 大学を卒業してすぐに、ホームページ制作会社に就職しました。そのあと得意先の広告代理店に出向したんです。2年くらいしてから、双方の会社と私で話し合いをして、結局、その広告代理店に転職しました。仕事は楽しかったですし、当時はまだホームページ制作に関する専門的な話ができる職員が少なかったんですね。打ち合わせでも重宝されて、やりがいもありました。転職後は、営業を主に担当、得意先に企画を提案し、実行するということもしていました。若かったですが、結構ハードな仕事でしたね。例えば、代理店が関わっているイベントが週末に開催されるとそこに行きますよね。では平日に代休が取れるかというと、もう次のイベントの打ち合わせが進んでいるので、また出勤していました。小規模だったんで、一人にかかる負担が大きかったんです。
 今思い返せば、頭痛が頻繁に起きていました。痛み止めを常に持っていて、痛くなったら薬を飲む、それでちょっとマシになったなと、仕事を続けていました。健康診断でも、医師に「血圧が高い。あんたこのまま行くと倒れるよ」と言われてたんですけどね、当時の僕は「そんなこと知ったこっちゃない、こっちは仕事があるんやし」と思ってましたね。こんな病気も全然知らなかったですしね。ニュースで聞いても「へー」という感じで、他人事だと思ってましたから。お酒は強くないので、量はそんなに飲んでませんが、仕事の関係者で、しょっちゅう飲みに行ってました。あと、ヘビースモーカーで、当時、体重も100キロ超えてましたし、もうトリプルパンチという状態ですよね。食事もめちゃくちゃだし、本当に不摂生極まりない日々でした。
 こうしてバリバリ仕事をしていた時、当時38歳ですかね、自宅で出勤前に突然、倒れました。実は東京へ出張に行く予定の前日だったんです。もし発症が1日後で、倒れたのが東京のホテルだったら、発見が遅れているから、今の僕はないかもしれませんね。
その時はそのまま、地元の病院に運ばれて、脳出血と分かりました。そのあと水頭症を合併して、別の病院に転院、手術して、また元の病院に戻りました。当時は寝たきりの状態で記憶がないんです。母親が、スマホで記録してくれているんですが、見ても記憶がないので、不思議な気分です。元の病院に戻った時も、看護師さんとかが挨拶してくれるのですが、僕は全く覚えていないんです。その後、妻が県内のリハビリテーション病院を色々調べて、評判が良かった病院に転院しました。そのあたりからは、記憶があるんです。だから僕としては「気がついたらリハビリをしていた」という感じです。これでは退院しても復職は難しいだろうと、次は、リハビリセンターに入所して生活訓練を受け、そのあと就労に向けての訓練を受けました。発症してから2年ほど経って、リハビリセンターの人と会社の人でようやく復職の話し合いが始まりました。当時の僕は、「やっと仕事に戻れるのか」と、わくわくしていました。

専門家による寸評

言語聴覚士西村紀子

回復期病院、急性期病院に勤務していたころ、私にとっても、目の前の失語症・高次脳機能障害の人にとっても、復職はゴールでした。まず、業務内容や、職場の人間関係を含めて、さまざまな仕事の環境を聞き取りします。これは私が日頃セミナーでもお伝えしていますが、相当細かく聞き取りします。そのあとで、いつ頃にどのような形で仕事に戻るのかといった目標設定をします。そして、今ある問題点を抽出して、カンファレンスで共有...

専門家による寸評

文筆業鈴木大介

合田さんのヒアリングで改めて痛感したのは、「当事者の自助努力は、周囲の協力によって加速する」ということ。当事者自身が自らの障害を緩和するための工夫を「主体的にカスタマイズ」するために、いかに他者の理解と支援が必要なのかということです。

当事者にとって、障害の自己理解はその後の人生をよりよく送るために絶対に必要なものですし、その自己理解を育てることも大切な支援です。ですが一...


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インタビュー記事

広告営業一筋の中で

大学入学がWindows95発売の年、工学部の情報システム工学科の一期生として、いわゆるIT革命・インターネット黎明期に技術を学んだ合田さん。ホームページ制作会社でのエンジニア経験を経て、取引先だった大手広告代理店の地方支社に転職したのちは、一貫して営業畑を歩いてきました。
「HPはアクセス数として結果が出てくるもので、広告展開による効果が数字ですぐに証明できることに斬新さと楽しさを感じました。それが、HP制作を発注する側の広告業界に足を置いたきっかけだったんです」
時節は「iモード」を代表とする、携帯電話によるインターネットコンテンツ利用の黎明期。大手携帯通信事業者を顧客に、ユーザーの利用促進のためのコンテンツ提案とコンテンツ制作を柱に、キャリアを積んだと言います。
「もともとコンテンツ制作側の人間だったので、コンテンツ寄りの提案を常に考えていたことが、当時の広告業界的には斬新な取り組みとして受け入れられたのかもしれません。地方の支社ですが、利用者には地域の特性もありますし、時代がスマートフォンに移行すれば、地域でのスマホ教室を提案して事務局から実施運営までをしてみたり。得意なことで言うと、強いて言えばプレゼンテーションでしょうか。広告会社って専門性がなくてなんでもやる業界なんで」
ということで、目標はもっと大きな案件に携われる東京本社勤務でした。倒れたのも実は東京本社出張の予定だった日の前日、バリバリに働きざかりでキャリア街道邁進中だった38歳のことでした。

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