この子が事故に遭ったのは、高校2年生の夏休みです。原付に乗っていた時に車にはねられました。30mも飛ばされて「命があるかどうか」という状態で「なんとか脳幹だけが生きている」と言われました。両方の頭の骨を取るような大手術、そのあとも、感染症などを発症したりで、4か月、急性期病院に入院しましたね。あごの骨も骨折していたので、口を開けることもできなかったんです。車いすに移ることもできない状態でした。リハビリをしようとしないので、私が行く時間にあわせてリハビリをしてもらいました。本人はほとんど覚えていないですね。ただ、鏡を見た時に、頭の骨がなくて凹んでいたのを見て、とてもショックを受けたのは覚えているみたいです。
そのあと、リハビリ病院に行って、3か月して急性期病院に戻り、頭の骨を入れたんです。たしか、先に右側の骨を入れました。そこからまたリハビリ病院に戻り、その半年間後、今度は左の頭の骨を入れるために急性期病院に戻りました。その後、またリハビリ病院に行きました。入院中に「施設はどうしますか?」と言われたのですが、「私は家に連れて帰るしか考えていません」と断りました。そしたらリハビリの先生が「トイレに行けないと大変ですから、一人でトイレに行けるように」と練習をしてくださいました。
結局、病院に1年半くらい入院して、ようやく杖なしで歩けるようになって、自宅に帰りました。そのあとは、福祉の人のアドバイスで、大阪府の自立センターに1年間入所しました。
この子は、意識が戻ってから「どうしても学校に戻りたい」ってずっと言ってましてね。入院中に担任の先生がよくお見舞いに来てくださったのですが、そのたびに、本人からも「戻りたい」って言ってましてね。この先生が、「なんとか戻してあげたい」と、校長先生に掛け合ってくださったんです。「校長先生から許可が出ましたよ。でも他の先生にも協力が必要なので、加配の先生が来てからになります」って報告してくださいました。
自立センターを出て、4月、高校2年生として復学しました。まだ、ひらがなもあまり書けませんし、授業も受けられませんので、先生が、マンツーマンでついて下さって、言語聴覚士の先生が出した課題を行っていました。他の生徒さんは中間や期末テストがありますが、それもできないですしね。そこでこの子は、テストの代わりに、地元の企業でインターンシップをしてもらって、評価をしてもらいました。就職先も、障害者枠を一緒に探してくれました。これまで学校には、この子のような生徒はいませんでしたから、どうしたら卒業できるのか、就職できるのか、先生方がその都度、すべて考えてくれましてね。ほんとに感謝しています。
多くの人にとって、働くとは、生活のためにお金を稼ぐことだろう。そしてある年齢を超えると、自己実現や、社会貢献の要素が入ってくる。しかし、障害のある人にとって働くことは、社会参加、そしてリハビリなのだ。「家でゴロゴロ過ごすのって、おもろくない」という彼の言葉は、「通える場所」の重要性を表している。重度の人が就労に至るまでには、大勢の人の力が必要だ。長期にわたり社会資源も使う。その結果、稼ぎだすお金...
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障害を抱えて生きる以上、ラッキーという言葉を使うことはできませんが、同じく学齢期受傷の重度障害のケースで、松尾さんが仕事を得るまでのプロセスを、親御さんが再現することはできるのでしょうか。今回はスタイルを変え、親御さんは、こうしたケースでどう立ち回るべきなのかについて、文筆業・鈴木と言語聴覚士・西村の対談の中から見出します。
【鈴木】このケー...
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高校二年生で交通事故に遭い、ICUに一カ月半。両頭蓋の開頭手術を左右順番に行うために急性期病院と回復期病院を二度行き来するという、非常に大きな脳外傷と重度な高次脳機能障害を抱えながら、復学と就職を実現させて今も働いているという松尾さん。非常にレアなケースかもしれませんが、特に同じような状況のお子さんを抱える親御さんにとっては、松尾さんが現在に至るプロセスは喉から手が出るほど知りたいものだと思います。
「寝たきりなのか、植物人間なのかも分からず、不安で仕方がなかった」というお母様に、主治医の脳外科医は、こう告げたと言います。
「脳幹だけが無事だったので奇跡を信じましょう。私の年齢だったら即死している怪我だけど、子ども(若い脳)だから奇跡の回復を信じましょう」
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