セラピストは私という人間を見ていない 失語症リハビリモデル Iさんの場合

 私は50歳の時に発症しました。それまで同じ会社で30年近く営業職をしていました。就職したころは週6日勤務でしたし、33歳で管理職になってからは、出張も多くて、忙しかったけれども、とても充実した日々でしたね。人と話すことが大好きだったんですね。なんか知らんけど。
 私はタバコも吸いませんし、飲酒も付き合い程度、血圧も低い方ですし、身体もやせ型と、生活習慣病とはあまり縁のない生活でした。倒れたのは仕事の後、食事をして帰ろうとしたときです。頭の中をさーっと何かが流れる感じがして、急にことばがしゃべれなくなりました。そのあと、身体に力が入らなくて、ふらっと路上に倒れ込んだんです。見知らぬ人が救急車を呼んでくれました。
 以前、40代で転倒して頭を打ったときに、脳の検査をしたら脳動静脈奇形が見つかったんです。でも手術できるかわからないし、忙しかったから、特に何もしなかったですね。それが後悔と言えば後悔です。そこが出血しました。前頭葉にあるちょうどブローカ野のところでしたので、右麻痺と、失語症が残りました。
 はじめは自分の名前さえ言えないし、右半身の身体も動かないので、入院中は不安で頭がいっぱいで、苦悩の連続でした。でも、私を担当してくれた言語聴覚士さんが、いつも笑いとユーモアで包んでくれました。冗談や笑顔でリハビリに向かう環境を作ってくれました。それがとても良かったです。認知のテストがありますよね。あれで「1分間で野菜の名前をたくさん言って下さい」というのがあって、私がことばに詰まっていたら「私の足を見て!」って。ふくよかな人だったんですよ、私は笑って「大根!」ってすぐに言いました。でも、その先生は部下には厳しい人でしたよ。フリートークってありますよね。あれがまったくなっていない言語聴覚士って多いですね。なんの目的でこのトークをしているのか、つながりはどうなのか、アイコンタクトとかね、突っ込みたくなりますよ。そして、最も重要な共感のことば、これがないんです。ことばが出なくて苦悩している患者には、共感のことばが大事です。でも、リハビリした内容はすべて役立ちました。機能が回復しましたから感謝しています。でも、なんか違うなと。よくよく考えたら、症状だけを見て、僕の人生のストーリーを見てないなと思ったんですよ。そこで、会社に戻る前に「ブローカ失語症の僕の話を聞いてもらえませんか」と、専門学校に飛び込み営業をしたんです。あいにく、言語聴覚学科では決まった人達がいたのでダメだったんですが、作業療法学科で話をすることになりました。復職した今でもその活動は行っていて、いずれこれを仕事にできたらと思っています。

専門家による寸評

言語聴覚士西村紀子

「セラピストさんが僕という人間を見ていないなと思って」という言葉、ずきっときませんか? 麻痺がどの程度で、どのような言語症状があって、診断名や脳画像、合併症など、こうしたことだけにフォーカスしていませんか?「私という人間を見ていないと思った」という声は、退院したあとの失語症・高次脳機能障害の人からよく聞きます。私も病院に勤務している時はそうだったかもしれません。電子カルテに記録されている様々なデー...

専門家による寸評

文筆業鈴木大介

 講師業をされているだけあって、Iさんのお言葉はとても伝えたいことの伝わってくる言葉で、それこそ自分の言いたいことだけを一方的に話す健常者よりもよほど意思伝達力のあるお言葉をもっています。けれど一方、「言葉の機能は病前の10%」とご本人が言う通り、「えーと」「あのー」「そのー」といったフィラー(不要な挿入語)は極めて多く、まだ受傷から2年未満だった最初の飛込営業時はもっともっと言葉が出なかった時期...


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インタビュー記事

病前職はバリバリの営業マン

「障害の当事者性=当事者としてその障害をどう感じているか、その経験等」を仕事の中での強みにしていく、そんなケースがこれまでいくつかありましたが、まさかまさかの、「当事者であることを武器に起業する」、しかも失語症の当事者が「話す仕事」で新規起業する。そんな離れ業を成し遂げた当事者が、Iさんです。

 Iさんの病前職は、近畿圏を中心に関東にも支社展開する、食料品メーカー。写真・音響の専門学校を卒業後、その道に進むも1年で断念し、およそ29年を一貫して、営業職で過ごしてきたといいます。
「入社後は飛び込みセールス、新規開拓ですね。喫茶店とかスーパーとか、ホテルとかね。30代半ばで管理職になってからは、若い社員の指導や、大きな会社、例えば有名なテーマパークの飲食店とかを担当していました」
 売り上げの半分ほどは病院や介護施設等が占めているメーカーでしたが、そんな中でIさんは営業部の切り込み隊長的ポジションで活躍されていました。
「営業自体が好きでしたね。営業で辛いこと、いっぱいあります。目標達成するのは大変です。それでも営業職は好き。小さい頃は積極的な方ではなかったようには思いますけれど、人と話をするのが好きなんですよね」
 ということで、自称、得意分野は営業トーク。「営業職ですから、話すこと以外には何もできないですから」とはいうものの、大勢の取引先を前に2時間のプレゼンに挑む際も、顧客の反応を見ながら台本なしのメモだけで話し通すこともあったと言いますから、相当なものです。
 将来展望としては、そのまま会社でもっと上の役職を目指すか、もしくは得意な会話力を生かして観光地でお土産屋さんの経営者として起業するか。
 Iさんが脳出血に倒れられたのは、そうしてバリバリの営業職を続けられていた50歳のこと。そして後遺症として残ったのは、Iさんの最大の武器である「話力」を喪失する、ブローカ失語症だったのでした。

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