高次脳機能障害、働く母親、医療職の当事者として 看護師 髙岡さんの場合

 妊娠中に脳出血を起こしてしまいました。帝王切開で出産したのですが、私は、子どもを産んだのを覚えていません。看護師さんが、車いすでNICUまで連れてってくれました。そのうち、段々、意識が戻って来ました。先に子どもが退院しましたが、私もすぐに退院し、夫と子供と3人、元の生活に戻れると思っていました。でもリハビリ病院に転院になりました。入院中は私の母が赤ちゃんを育ててくれました。自分で搾乳機で搾乳し、保存用パックに入れて冷凍したものを、夫が来た時に持って帰ってもらい、私の実家に送ってくれていました。
 子どもが生後7か月経った頃、やっと退院し、子どもと再会しました。でも、私が抱っこすると泣くのですよね。麻痺があるから片手じゃないですか、だから泣くのですよね。私の母親が抱っこすると泣き止み、誰の子なの? って哀しくなったことを覚えています。子どもを寝かせるためにベビーカーを押して散歩したり、母に手伝ってもらって洋服を作ったりしました。それはとても嬉しかったです。目の前に小さい我が子がいるので、やらなくちゃいけないのが当たり前。忙しかったですが、最初は子どもと一緒に良く寝ていました。姉が「母子を離してはダメだよ」って言っていたのですが、目の前にいないと母親になった実感なんてわかないですよ。産んだことさえ覚えてないのですから。
 元夫に「その頭をなんとかしてこい」って言われて、東京都リハビリセンター病院に通い始めました。そこで集団療法に参加したことで、私には高次脳機能障害があることが分かったのです。「あ、私、病気だったんだ。病気のせいでできなかったんだ」とようやく繋がったのです。それまでほんとに分かってなかったので、家族は大変だったと思います。例えば、ミルクを作る時、粉ミルクを入れるのに「あれ?何杯入れたっけ?」となって、いつまでたってもミルクが作れないわけですよ。「なんでだろう?」とは思っていたけど、そこから先を考えられなかったんですね。いつまでも作れないので、1杯が大きいスプーンを使って入れる回数を少なくする工夫をしてもらえて、作っていました。
 子どもが小学校に上がる時に、障害者雇用で事務の仕事を紹介してもらえました。そこで半年経った頃、病院関係者と食事に行ったら「今後、病院でも障害者雇用を予定している」って聞いたので「やりたいです!」と申し出ました。
面談後、翌年の1月から勤められると決まったのに、妊娠してしまっていたのです。でも、理解ある看護部長さんで、出産後4月からの入職に変更してもらえました、また、搾乳もあるので4時間の短時間勤務から就職させてもらいました。私は、自分一人では育てられないって分かってたので、私が働いて、いろんな人に育ててもらった方がいいなと思っていました。保育園などの段取りをして入院しました。全部、自分でやりましたよ。できることと、できないことの差が大きいですよね、私の場合は記憶力が悪いのですが、生活プランや戦略を考えたりはできるのです。
 今の職場に就職するときは、自分ができないってことが分かっていましたから、想定外に困ったことは特になかったです。例えば、二つ三つ何かを同時に言われても忘れてしまうので、一つずつ言ってくださいって伝えたり、忘れないようにメモをしたりしていますね。

専門家による寸評

言語聴覚士西村紀子

 本当のリハビリテーションは、生活の中にある。今回、髙岡さんのインタビューを通じて、改めて実感した。リハビリテーション病院を退院し、実家に戻った髙岡さんには、入院中に出産した7か月のお子さんがいた。そして退院と同時に子育て生活が始まる。子育ては、自分の思い通りにことが運ばない最たるもの。非常に高次の能力が必要なタスクの連続である。あれも、これもできない中で、髙岡さんのお母様は、髙岡さんから子育てを...

専門家による寸評

文筆業鈴木大介

 改めて、髙岡さんのケースを正しくとらえ直すと、髙岡さんの復職のタイミングは「退院直後」、復職した先の仕事は「育児と家事」だったのだと痛感します。髙岡さんはお母様からの素晴らしい支援を得ることで、この仕事に戻ることができましたが、果たしてこれが無支援であれば、どれほどの困難が伴ったことかと思います。

 現状、家事も育児も「仕事」とは捉えられず、当然のことながら就労支援の中...


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インタビュー記事

当事者でありつつ、看護師

「一回目の脳出血を起こしたのが高校生のときでした。普通科高校の生活文化科で栄養士を目指していたのですが、脳出血を発症し、入院しました。その時に若い看護学生さんがいて『若い患者さんが来た!』って喜んでくれて、沢山お話をしました。それで、『看護師いいよー、看護師なりなよー』って言われて。それまで進路の中に看護師は視野にはなかったのですが、それが看護師を目指したきっかけです」
 その後、准看護学校を卒業し、看護師の国家資格を得て、髙岡さんが高次脳機能障害の当事者となったのは、大学病院の看護師として働いている3年目の時の脳出血を再発した後でした。
 そして髙岡さんは、現在も看護師として、しかもリハビリテーション病院に勤務する看護師として働き続けている、当事者兼医療職です。
「脳出血を再発したときは大学病院の看護師でしたが、キャリア志向でもないしキャリアプランも全くないタイプでした。看護師としての得意分野……特に考えたことはないですが、自分の仕事をさっさと終わらせて、先輩に『仕事ないですか』って手伝うことは良くしていましたね」と、テキパキと髙岡さんは話し、インタビューをしていても効率的・合理的な印象を感じさせる快活な語り口です。
「再発したときは、妊娠中で看護師の仕事をしながら出産にも備えていた時期でした。発症後は記憶のないまま、帝王切開で出産しました」
意識障害や身体の麻痺、高次脳機能障害が残存するまま育児という、かなり壮絶な状況から、髙岡さんの当事者生活は始まることとなりました。

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