挑戦すべきことを与えられた人間 放課後デイ勤務 阿部さんの場合

 高次脳機能障害になった原因は、もやもや病という脳血管の病気です。症状は小さいころからありまして、歌や笛、話すなど、息を吐き出すことが続くと、けいれん発作を起こしていました。脳が疲れやすく、あとは今で言う発達障害のような症状がありました。初めに脳出血を起こしたのは、高校生、16歳の夏です。出血は小さくて、意識もありました。病院で検査を受けた結果、主治医から、発達した毛細血管が張り巡らされているため、閉塞している血管を手術しても血流が改善しない可能性が高いと説明を受け、非手術群の研究対象に振り分けられ、そのまま経過を見ていました。当時は思春期だったこともあり、病気の重篤さよりも、僕が一番絶望したのは「もやもや病」という病名です。こんなに深刻な病気なのに、なんてふざけた名前なんだ、友達にどう説明したらいいんだと、本気で悩みました。もやもやするって言うじゃないですか、だから、心の病気みたいに思われたりしました。なんて変な名前をつけてくれたんだと、今でも抗議したいです。
 そのあと復学し、大学に進学します。脳にダメージを受けてからは、常に眠たかったですね。集中しにくい、いらいらしやすいという症状もありました。眠くて勉強が続かず、成績も下がってしまいました。やればできる子なのに……と教員に言われましたが、本人は精一杯だったんです。この時は、高次脳機能障害という診断はついていません。
 県外の有名な病院にも相談に行きましたが、同じく、手術適応ではないと言われ、見放された気分で落ち込みました。母親と、もやもや病の患者会にも参加しましたが、私のように自分から多くを話せる人はほとんどいなかったんですね。そこで、自分は軽度だし、病気を抱える人に役立ちたいと思って、福祉の分野に進学を考え、大学院まで進みました。
 2回目の脳出血は、就職直前の事前研修直後の帰宅途中です。今度は、大きな脳出血でした。意識障害も強く、生きるか死ぬかの状態だったようです。しかし、記憶はありませんが、ICUをでて、看護ステーション横の観察室に移った後、弟が見舞いに来た時、突然スラスラと喋ったそうです。それを見た病院の人や両親も、「これは回復する!」と思ったと聞きました。いわゆるリハビリテーションを受けられる状態ではなかったのですが、手を触ったり、声をかけたり、いろいろ関わってくれたようです。2か月後、リハビリテーション病院に行く時は、自分で立って車いすに座れるようになっていました。
 退院した後に、脳の手術を受けました。手術は成功しましたが、一気に血流が良くなり、過還流を起こして倒れ、むしろ悪化してしまいました。記憶や集中力も低下して、リハビリテーションのやり直しです。でも、一度、回復したのだから、今度も回復してやろうと思って、がんばっていました。しかし、1回目の脳出血と違い、残存した高次脳機能障害により、退院後はこれまで経験したことがない絶望を何度も味わうことになりました。

専門家による寸評

言語聴覚士西村紀子

「脳出血で頭もすごく痛かったし、大変なことがたくさんありましたが、当時の私が一番絶望したのは、もやもや病という名前です」
今回のインタビューで、私が一番、心に響いたのはこの言葉です。
もやもや病は「「Moyamoya disease」と英名にもなっています。異常に発達した毛細血管が、霞がかかったように見える現象をそのまま表した病名です。私は、症状を分かりやすく表現してい...

専門家による寸評

文筆業鈴木大介

障害程度が軽度である、ゆえに福祉資源に頼っては生きられない。けれど健常者のようには働けない。けれどけれど、誰が見ても健常者のように見えて、合理的配慮を得ることも難しい……。

阿部さんは、本冊子企画当初に最も社会や医療・支援現場に伝えたいと願った、「障害程度が軽度だから生き易いわけではなく、軽度だからこそ生きづらいシーンもある」を体現する当事者であり、しかもお仕事ではキャリ...


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インタビュー記事

 

将来どのような仕事に就いて生きていこう。志を立てた時点で阿部さんは既に、高次脳機能障害の当事者でした。
原疾患であるもやもや病による初めての脳出血が高校二年の時。当事者としての経験や、自身が機能不全を抱える家庭に育った成育歴、そして生来の子ども好きといったパーソナリティを踏まえて決定した進路は、地元県立大学の福祉学科です。
入学後はなかなか決まらないもやもや病の治療方針や家族問題などを背景に生活が乱れた時期もありましたが、ゼミ選択時に激しく知的好奇心を刺激する指導教員と出会ったことを機に、大学院に進学。自身も最終的に福祉政策を専門とする大学教員になりたいという志を立てました。
「診断はなくとも、子どもの頃からちょっとしたことが気になってしまう、ひとつのことに集中できず気が散ってしまう、すぐ眠くなってしまう。怒りがピークに達すると泣き喚いてしまうような易怒性も出ていたかもしれない。出血後は高校の授業中も寝ないことで精いっぱいで……。ただし、後遺症でできないことは増えたけれど、自尊心を高めに自分を甘やかず、自分のできる範囲でどのポジションに立てば、自分は輝けるのか? 常にそういう道を選んでやっていこうと思ってました。他のもっと重度な当事者を知る中で、さいわい自分は出血も少なく、動けてしゃべれる。運良く回復できたんだから、自分はやっぱり人を援ける方に回りたいと」
院で社会政策を学ぶ中、具体的な将来プランも固めました。
それはまず、社会福祉士として県庁の福祉課に入り、最も興味のある子どもや家族の支援に関わる児童相談所職員(児童福祉司)として現場の実務経験を積むこと。そしてその後、再び大学に戻って最終目標である教員職に就くというものでした。
けれど、阿部さんが二度目の大きな脳出血を起こして意識不明となったのは、まさに人生計画の一歩目である県庁に内定を決めて研修を終え、最終日の懇親会に向かう道中のことだったのでした。

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