体動くし喋れるし なんでそれで障害者!? 元介護職・営業職等 Tさんの場合

 留学中に、友達が運転している車に乗っていて事故に遭いました。助手席にいた僕は、窓ガラスを突き破って飛び出したみたいで、耳もちぎれていたそうです。僕は、事故の前から記憶が全くないので、全部、あとになって、親から聞いた話です。海外なのでいろいろ大変だったって。
入院した病院では、体は元気だったので、早く退院してくれと言われ、母親は困ったそうです。日本から、お医者さんと看護師を呼んで、僕と母と4人で帰国しました。そのあと日本の病院に入院したんですが、あまりにも元気だから大丈夫だろうってことで、また元の大学に戻ったんですね。でも、とっていた授業の単位を全部落としてしまうし、洗濯も掃除もできなくて、留学生をバイトで雇って、家事などやってもらっていたようです。在学期間を延長してもらいましたが、結局、1年後に退学して帰国しました。当時は食事をしたのに忘れて食べてしまったり、チョコレートがやたら食べたくなったりして、過食で30キロくらい増えましたかね。妊娠線ができましたよ。今も残っています!
 帰国してからは、近くのリハビリテーション病院に通いましたが、母親が橋本圭司先生の病院を探してきましてね。オレンジクラブという、集団リハビリの1期生です。毎週、母と二人で2年くらい通いましたかね。リハビリテーション病院でも、集団リハビリはあったんですが、オレンジクラブでは、同じようなレベルの人が5名集まっていました。みんなでしっかり話し合ったり、リンチピンと言って、その人の問題点を言い合ったりしたんです。とても濃かったですね。記憶自体は薄いんですけど。橋本先生は、自分の気づきができるのがリハビリだって言ってました。このクラブで、リハビリの目的や、障害のことを理解したのが、その後の人生でも大きかったです。
 ここを卒業すると同時に、障害者職業能力開発校に入学しました。でも、コミュニケーションが難しいので、寮生に誤解され、悪口を言われたりしましたね。最初に入った会社でも、うまくいかなくて。ハローワークの人が面会に来てくれたんですが、改善されず2年半でやめました。それからいろんな職場に行っていますが、やっぱり健常者の中で生きていくのは難しいのかなと、思っています。周りから見て「なんでこいつが障害者なの? しゃべるし、歩くし、それで、なんでできないの?」とか思われるみたいですね。でも、そこをうまく説明する言葉が出てこないんですよ。

専門家による寸評

言語聴覚士西村紀子

 高次脳機能障害のうち、社会的行動障害や自己認識の向上には、集団リハビリが有効であると言われている。診療報酬でも認められており、「1人の言語聴覚士が複数の患者に対して訓練を行うことができる程度の症状の患者であって、特に集団で行う言語聴覚療法である集団コミュニケーション療法が有効であると期待できる患者」などの規定を満たせば「集団コミュニケーション療法」として1単位50点算定ができる。人の振り見て我が...

専門家による寸評

文筆業鈴木大介

受傷した時代を考えれば異例なほど高度な支援を受けられた当事者であるTさんですが、その後の職業人生が決して安定したものと言えないのはインタビューで聞き取った通り。「障害への気づき」だけでは実務レベルに至らないのは、本冊子から見えてきた厳しい現実でもあります。

 けれど実はそんなTさんの当事者生活を支えてきたのが、事故後の訓練校時代に知り合って結婚した奥様です。結婚してからT...


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インタビュー記事

留学中の事故で当事者に

 高次脳機能障害は、医療分野においても支援分野においても比較的新しい障害と言えますが、Tさんが当事者になったのは、20年前のこと。けれど、この時代としては、Tさんは異例なほど専門的な支援を受けた当事者と言って良いかもしれません。
 受傷の原因は交通事故。大学で経済学を学ぶためにジュネーブに留学中に遭った事故でしたが、身体の麻痺等が少なかったからか、受けた医療が外国語圏だったからか、すんなりと大学に復学できてしまったところから、Tさんの長い長い当事者人生が始まることになりました。
「それまでは、授業に出ていれば単位は取れたはずなのに、それがいきなり全科目落としてしまったんですよ。一科目二科目ならまだ分かるけれど、全科目ってどういうことなのか? 当時は自分の高次脳機能障害のことが分かっていなかったし、気づけてもいなかったので、不思議で不思議でしょうがなかったです。教頭に相談することで、なんとか一年は在学してもいいということだったんですが、それでも取った科目全部単位を落としてしまって、結局自主退学……」
 冒頭で「専門的支援を受けた」としたのは、この帰国後のTさんが、集団認知リハビリテーションの先駆けである橋本圭司医師の『オレンジクラブ』でプログラムの第一期生として参加し、その後も東京障害者職業能力開発校(東障校)での職業訓練を受けてから就労に至っている点です。
「仕事としては、実はオレンジクラブの前、帰国後すぐの段階で親の経営する中古車屋でバイトをしています。8割9割方が車の掃除だったんですが、営業もする中でよく怒られたのを憶えてますね。お客様が住んでいるところや車種によって用意する書類が違うんですけど、それを全く覚えないことに『なんで?』とよく言われた。『それ言ったろう』とか『お前それ、さっきも同じこと聞いたわ』なんてしょっちゅう言われることに、すごく嫌な気持ちがしたのを憶えています。なんでだろうって。当時の自分は記憶が落ちていることをまだ分かっていないし、自分自身が言ったこともなんとなく憶えているか憶えていないかという状況で。社長の息子であることで相当配慮されていたんでしょう、普通の会社だったらクビだったでしょうね。そんな中、母が良いリハビリがあると友人伝手で聞いてきたのが、橋本先生のオレンジクラブだったんです」
 大学に粘って残った一年間でも、中古車販売のバイトでも、Tさんはご自分にどんな障害が残っているのかにあまり気づくことができなかったようですが、オレンジクラブではリンチピン(当事者数名が集まってお互いに問題を指摘し合うグループプログラム)に参加する中で、徐々に自分の障害が見えてきたと言います。

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